余氏が死んでからというもの後宮の至るところで亡霊が出没し、目撃者たちは余氏が化けて出たのではないかと噂していた。だが実際は余氏の背後に黒幕がいると踏んでいた甄嬛らが余氏の死を利用し黒幕をあぶり出すための策だった。まんまと策にはまった麗嬪は、亡霊に怯え錯乱状態となり、自分が余氏に薬を盛るよう指示したことを口走ってしまう。慌てた華妃は麗嬪を翊坤宮に連れていこうとするが、そこへ皇后が現れて…。
夏が訪れ甄嬛らは雍正帝と共に避暑のため円明園に滞在していた。ある日、甄嬛が雍正帝の元を訪れると曹貴人が甄嬛と皇帝の出会いのなれそめを口にしたため、皇帝の機嫌が悪くなってしまうが甄嬛は機転を利かせ事なきを得る。甄嬛は曹貴人の悪意を心に留めておくのだった。一方、皇子を授かりたい沈眉荘は、新しく赴任してきた同郷の劉侍医を信頼するようになる。そんな中、吐き気を催した眉荘を診た劉侍医は眉荘が懐妊したと告げるのだった。
雍正帝より“恵”の封号を与えられた沈眉荘は甄嬛と共に我が子の誕生を心待ちにしていた。ある日甄嬛が御前に向かう途中、ひざまずく皇子を見かける。それは雍正帝より忌み嫌われている第四皇子だった。第四皇子から呼び止められた甄嬛は、皇子の聡明さに感心し激励の言葉をかける。
曹貴人の娘、温宜公主の誕生祝いの日、酔いざましのため宴を抜け出した甄嬛は、池で足をすべらせたところを果郡王に救われる。甄嬛が宴に戻ると、曹貴人が皇后や側室たちによる余興を提案する。甄嬛に与えられた題目は亡き純元皇后の愛した“驚鴻の舞”だった。
甄嬛の“驚鴻の舞”を見た華妃は自分を玄宗に見捨てられた梅妃になぞらえ、雍正帝の同情を求める。敦親王や官吏らも華妃の兄である年羹堯に恩を売るため華妃を厚遇するよう嘆願、華妃は再び雍正帝の寵愛を得るのだった。そんな折、西北に運ばれる兵糧が奪われる事件が起こる。これに安陵容の父親も関与していたため、陵容は沈眉荘に雍正帝への嘆願を求めるが打つ手はなかった。結局、甄嬛の口添えで事件は再調査されることになるが、陵容は皇后の嘆願こそが最も頼れると信じ、眉荘や甄嬛に疑念を抱き始めるのだった。
順調におなかの子供が育っているかに思われた沈眉荘だったが、ある晩、寝殿に不審者が現れる。捕まったのは円明園で沈眉荘の世話をしている宮女の茯苓で、血の付着した下穿きを持っていた。茯苓は、最初から妊娠などしていなかった沈眉荘に月事が訪れたため証拠隠滅を図ろうとしたと証言する。怒った雍正帝は沈眉荘を貴人から答応に降格し、謹慎を申し渡す。すべて陰謀だと踏んだ甄嬛は雍正帝に謁見を求めるも拒否され、雍正帝はまたも華妃の元に通うようになるのだが…。
歌にたけ官女子から答応へと位を上げた余氏は、寵愛を盾に我が物顔で振る舞っていたがあまりの横暴さゆえ、見かねた皇太后より謹慎を言い渡される。そんな中、皇后が気を利かせ、まだ声のかからない安答応が初めて夜伽の相手に選ばれるが、緊張しすぎた安答応は、雍正帝から指一本触れられず宮へと送り返されてしまう。
少しずつ回復に向かう甄嬛はある日、御花園のぶらんこで簫を吹いていると、果郡王と名乗る男に出会った。5日後の同じ時刻同じ場所で落ち合うことを約束するのだが…。
中元節の夜、酒に弱い甄嬛は酔いざましのために宴を抜け出し、桐花台にある夕顔に見入る。そこへ果郡王が現れ2人は夕顔について語り合う。宴に戻ると、温宜公主が乳を吐いたという知らせが入り、雍正帝は侍医へ治療を命じた。数日後、回復に向かっていた公主が、くわい餅を食べて再度乳を吐く。くわい餅に混入した木薯粉が原因だと分かり、華妃は何者かが木薯粉を故意に混入させたと訴える。そして調査の結果、浣碧だけが木薯粉を御膳房に取りに行っていることが判明し、木薯粉を混入させたのは中元節の夜、散歩に出ていた甄嬛だという疑いが浮上する。
西北の乱を年羹堯が平定したため、雍正帝は華妃を後宮指南役に戻そうと検討するが、甄嬛の助言で持ち越しと決定する。一方、最近浣碧の言動が度を過ぎると感じていた甄嬛は、朝食を食べに来た雍正帝の気を引こうとする様子を見て、浣碧の裏切りを確信する。浣碧が曹貴人と繋がっていると読んだ甄嬛は、ある夜お忍びで謹慎中の沈眉荘を訪ねると浣碧に言い残して出かける。そして案の定、眉荘のいる閑月閣に華妃が現れるのだった…。
閑月閣に乗り込んできた華妃は何者かが勅命に背き沈眉荘に会っていると到着した雍正帝に訴えるが、ちょうど甄嬛が現れたため華妃は軽率だったと雍正帝に謝罪する。こうして華妃の後宮指南役復帰は遠のくのだった。その後、甄嬛は沈眉荘に会い、必ず助けると約束する。帰り道に偶然、果郡王に出会った甄嬛は、巡回に見つからぬよう小舟に同乗し、果郡王が大切にしていた袋の中身を見てしまう。寝殿に戻った甄嬛は浣碧に対し姉としての思いを伝える。心を動かされた浣碧は二度と裏切らないと誓うのだった。
ある日、雍正帝は甄嬛へ高価な蜀錦で作らせた履物を送る。雍正帝に大切にされる日々を送っていた甄嬛だったが、西北の乱で勝利した年羹堯が都に凱旋してから状況は一変する。参内した年羹堯は完全におごっており華妃は肝を冷やすが、まだ年羹堯の力を必要とする雍正帝はこれを容認し、後宮でも華妃の元ばかりを訪れるようになるのだった。ある晩、甄嬛と安陵容が談笑していると、翊坤宮の周寧海が訪れ、陛下が安に歌を歌うよう命じていると伝える。甄嬛は安に付き添い、翊坤宮に向かうのだが…。